破壊日記 1999年11月21日〜エンジンブロー

 1999年JAF中部ダートトライアル選手権C3クラスをシリーズランキング3位で終了した私には、JAFカップオールスターダートトライアルへの参加 権利が与えられた。年に一回のお祭り的かつ日本一決定戦的な意味合いも持つビッグイベント。もちろん参加することにした。

 参加するからには少しでもいい成績が欲しい。そこでタイヤメーカー主催の練習会ももちろん行き、それとは別で自費で会場である丸和オートランド那須まで 練習に行った。やる気満々だった。

 その練習会会場で、とあるお店が作った改造車(D車両)の助手席に乗せてもらうことができた。しっかりと張り巡らされたロールバーをかいくぐって助手席 に収まると、ダッシュボートの上にはNGKのA/Fメーターが取り付けられていた。

「これは!」

と、私は運転なんぞ見ずにずーっとA/Fメーターの出す数値を見ていた。
これが自分たちがそれまでセッティングしていた空燃比よりずいぶんと薄いのだ。
その練習会から帰って、早速某所へ師匠とセッティングに出かけた。
そして数本のトライでだいたい狙う空燃比を出せるようになった。

オールスター決勝日前日。公開練習でのタイムは散々だった。
だって攻めてないもんな(爆)
しかし、クルマにはそれなりの速さがあると手ごたえをつかんだ。


そしてオールスター決勝日当日。11月21日。
自分の出走順がやってきた。

スタートフラッグが振られ、スタート。
1速、2速、3速・・・速い!!
2速、3速と丸和名物象の鼻と呼ばれるコーナーを立ち上がってストレート・・・4速・・・・
ん〜、4速吹け切る!5速に入れるか!!!
と、思ったときに、右足の踏ん張りとはリンクしないエンジンの力を感じた。
ルームミラーで後ろを見ると真っ白。

終わった・・・

私のクルマは惰性で進み続けるも、ゴールまでたどり着くことなくコース内にとまってしまったのだった。
そして、私の初出場のオールスターは成績なし、で終わった。


このときのエンジンの中から出てきたピストンがこちら。
3番ピストンと4番ピストンが見事に穴空き。こいつは3番。
こちらが4番。どちらも排気ポート側がでろっと融け落ちてます。
4番ピストンを裏から見たところ。出たばかりのエボ6ピストンもこうなっては何の意味もなし。

こうしてランサー1年目は終わったのでした。
ちなみにこの日のリザルトはこちら。



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