人と人とのコミュニケーションは難しい。
コミュニケーションがスムーズであればそれだけで全てがスムーズに回ることだって
少なくない。
逆に言えば、コミュニケーションがスムーズにいかないために
イザコザ、はたまた予期せぬ諍いの元になってしまうことが
しばしばあると思う。

聞かれた事には的確に答える。
言うは易く行なうは難しとはこのことで
実際これが難しい。

昔、「Noと言える日本」なんてタイトルの本があったけど、
Noと言える言えないは置いておいても
日本語は得てして結論を後に持ってきがちなので
結論を聞くまでに論点がぼやけてしまう。

何かしてほしいなど
希望があるならそのことを「希望である」ことを伝える。
伝えられた方は
希望に応えられるなら「そのように対応する」という意思表示を
希望に必ずしも応えられないかもしれないけれど応えるべく努力するのであれば
「できるだけがんばる」という意思表示を
希望に応えられないのであれば「できません」という意思表示を
する。

希望に応えられるときは「やります!」って言うだけで問題ない。
ので置いといて。

希望に応えられないかもしれない場合。
「応えられないかもしれない」と答えようと思っている人の頭の中には
応えられない原因が渦巻いている(のが普通だと思う)。
すると、口から最初に出てくるのは
答えるべき結論ではなく「~のため、応えられないかも」という
応えられなかった場合のその原因であることがしばしばあると思う。
これは場合によっては「いいわけ」に聞こえてしまう。
希望を出した側が「絶対にやってくれないとテコでも動かんからな」と言っているのではなく
「できればこうしてほしい」という物言いの場合、
「応える気がある」のであれば、
まず最初に
「そのように努力します」
と意思表示をするべきなのだ。

「いいわけ」が先に立つと「やる気が無いのか」ととられ、
希望といいわけの応酬に発展するだけ。
そうなるともう収拾がつかない。

こんな簡単なことでも、色んな事情が頭の中で渦巻いていると
あれもこれも説明しなきゃわかってもらえない、ってなってしまう。
人間なかなかできないものなんですね。

希望に応える気がない場合も
嘘も方便ではないけれど、ある意味政治家的答弁でかわしたほうが
その場が丸くおさまる場合もあるので
大人はそれぐらいの空気を読む必要はあると思う。
「善処する」的な。

身近で見てきた事例で一つ二つ例を書こうかと思ったけど、めんどくさいのでやめときます(汗

世の中なんて大げさなことは言わないけれど
とある小さなコミュニティ、そんな単位での平和のために
コミュニケーションの効率や正確性を向上させることは
有効な手段であると思います。

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